2008年 03月 03日
mixi仲間のたっちゃんのブログで、「鉄ちゃん」のことが話題になったのに触発され、今夜のネタは中学、高校時代に夢中になった鉄道模型の話である。実は大学受験の時、当時国鉄がやっていた養成機関、「日本鉄道学園」に行こうかと思ったほど、鉄道が好きだったのである。
鉄道好きには何種類があって、ボクのように模型を作って走らせる派。写真に凝る派。時刻表が好き派。そして関口知宏のように、全国の鉄道をくまなく乗って制覇する派。、、同じ鉄ちゃんでもジャンルは様々なんである。で、ボクは中学から突然模型が好きになり、模型を作る参考にするために各地の機関車区へ行ったりしていた。親切なところでは、わざわざ機関車を車庫から出してくれたこともあった。当時はSLも普通に走っており、学校帰りによく中央線を走るD51を見に行ったものである。当時住んでいた名古屋には何件かの模型屋さんがあり、ずいぶん遠くまで自転車に乗ってパーツを買いに走ったものだ。
高校時代はさらにエスカレートし、鉄道同好会なるものに所属し、ペンネーム「秀ポッポ」を名乗っていた。趣味の本にも投稿し、記事が掲載された時には、天にも昇るうれしさだったことを思い出す。押入の奥から当時作った車両を引っ張り出してみた。ほとんど残っていないのだが、わずかに京成電車や貨車、電気機関車などが、40年の時を経て姿を現した。パンタグラフや台車、モーター以外はすべて手作り。今でも思い出すなあ、車体は0.5ミリ厚のボール紙を切り出し、気の遠くなるような数の窓を切り抜いて張り合わせてある。最後はラッカーでブラシ塗装。だからシンナーの臭いをかぐと、この時代に戻れる。仕上げに車両形式をレタリングする。ここで使うのが「面相筆」。あー、懐かしいなあ、、。
やがて車両を走らせるためのレイアウトを作りたくなったのだが、狭い家なので駅前だけを再現した小さなレイアウトを作ってガマンしていた。しかし学園祭では、大きなレイアウトを徹夜で作り、疲れて机の上で寝たりしたこともあった。レイアウトを作る際、家の形とか、木の生え方、線路ぎわにある様々なストラクチャーなど、普段から実物を観察するクセがついた。また、シリコンで川の水面を表現したり、ガケをプラスター(石膏)で作ったり、プラットフォームにある「仁丹」の看板を描いたり、、 その頃の様々なことが現在のボクの仕事の原点になっているような気がする。
高校を卒業する頃になってくると、人間が枯れてきたのか(?)、地方の軽便鉄道などの古びたディーゼルなどに良さを感じ、自分で設計図を描いて作ったりした。当時行ったこともないくせに、「武蔵野」という土地にすごくあこがれを持ち、そこを走る軽便鉄道にロマンを感じたこともあった。下の写真がそれである。
ボクがやっていた模型のスケールは1/80のHOサイズというものであるが、現在の主流は9ミリゲージという、もっと小さなものである。そして完成品を買って走らせることに主眼が置かれているようだ。しかしボクのように、稚拙ながらも、いちから作り上げていくヨロコビに勝るものはないだろうと思っている。そんな時代を過ごせたことに感謝している。
鉄道好きには何種類があって、ボクのように模型を作って走らせる派。写真に凝る派。時刻表が好き派。そして関口知宏のように、全国の鉄道をくまなく乗って制覇する派。、、同じ鉄ちゃんでもジャンルは様々なんである。で、ボクは中学から突然模型が好きになり、模型を作る参考にするために各地の機関車区へ行ったりしていた。親切なところでは、わざわざ機関車を車庫から出してくれたこともあった。当時はSLも普通に走っており、学校帰りによく中央線を走るD51を見に行ったものである。当時住んでいた名古屋には何件かの模型屋さんがあり、ずいぶん遠くまで自転車に乗ってパーツを買いに走ったものだ。
高校時代はさらにエスカレートし、鉄道同好会なるものに所属し、ペンネーム「秀ポッポ」を名乗っていた。趣味の本にも投稿し、記事が掲載された時には、天にも昇るうれしさだったことを思い出す。押入の奥から当時作った車両を引っ張り出してみた。ほとんど残っていないのだが、わずかに京成電車や貨車、電気機関車などが、40年の時を経て姿を現した。パンタグラフや台車、モーター以外はすべて手作り。今でも思い出すなあ、車体は0.5ミリ厚のボール紙を切り出し、気の遠くなるような数の窓を切り抜いて張り合わせてある。最後はラッカーでブラシ塗装。だからシンナーの臭いをかぐと、この時代に戻れる。仕上げに車両形式をレタリングする。ここで使うのが「面相筆」。あー、懐かしいなあ、、。
やがて車両を走らせるためのレイアウトを作りたくなったのだが、狭い家なので駅前だけを再現した小さなレイアウトを作ってガマンしていた。しかし学園祭では、大きなレイアウトを徹夜で作り、疲れて机の上で寝たりしたこともあった。レイアウトを作る際、家の形とか、木の生え方、線路ぎわにある様々なストラクチャーなど、普段から実物を観察するクセがついた。また、シリコンで川の水面を表現したり、ガケをプラスター(石膏)で作ったり、プラットフォームにある「仁丹」の看板を描いたり、、 その頃の様々なことが現在のボクの仕事の原点になっているような気がする。
高校を卒業する頃になってくると、人間が枯れてきたのか(?)、地方の軽便鉄道などの古びたディーゼルなどに良さを感じ、自分で設計図を描いて作ったりした。当時行ったこともないくせに、「武蔵野」という土地にすごくあこがれを持ち、そこを走る軽便鉄道にロマンを感じたこともあった。下の写真がそれである。
ボクがやっていた模型のスケールは1/80のHOサイズというものであるが、現在の主流は9ミリゲージという、もっと小さなものである。そして完成品を買って走らせることに主眼が置かれているようだ。しかしボクのように、稚拙ながらも、いちから作り上げていくヨロコビに勝るものはないだろうと思っている。そんな時代を過ごせたことに感謝している。
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by ozawa-sh
| 2008-03-03 22:18