おざっちの笛吹き日記

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ペダリスト宣言

「ペダリスト宣言」(斉藤純著 NHK出版 700円)完読。面白かった。


とても面白いことが書いてあって、たとえば、、
・明治・大正時代は今よりロードレースが盛んで、ひと月に10回から、多いときには20回ものレースが行われたとのこと。意外である。
・岩谷商会はライバルの村井兄弟商会と広告合戦を展開し、互いにしのぎを削った。岩谷商会は自転車レースを煙草の宣伝の場として活用したし、自転車選手のスポンサーでもあった。広告とレース、そして有力な選手が密接に結びついていた。(中略)岩谷松平は一代で財を成し、それを一代で使い切った。しかし、別の形で遺産を残している。煙草のパッケージデザインや印刷技術を競うなかで岩谷商会は印刷会社を興した。これが後の凸版印刷である。(中略)ライバルだった村井兄弟商会の創始者村井吉兵衛も同じような道をたどり、栄華は一代で終わっている。(中略)ちなみに、宣伝用の自転車隊を銀座で走らせるなど、派手な宣伝を行う岩谷商会を見て広告業に目覚めた光永星郎という青年がいた。この青年は後に電通を興した。
などなど、次から次へと面白い話が展開して飽きさせない。


偶然にも同じタイミングで、この著者の筆になる、「銀輪の覇者」をの@さんが読んだらしく、オススメらしいので、こちらもいずれは読もうと思っている。
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# by ozawa-sh | 2008-03-05 22:26 | Comments(0)

山が火事

忙しい日。フィニッシュした広告が5件。すべて明日の朝刊に載せるもの。ここでパソコンが落ちたらアウトというギリギリの状況。そんな中、窓の外を見ると、左京区の方で山火事が!モクモクと白い煙が立ち昇り、その上空をヘリが飛ぶ。作業がピークを越え、再び外を見てもまだ燃えていた。明日の朝刊にかなり大きく載るハズだ。赤山禅院?バプテスト病院?それとも比叡山の山の中に入ったあたりか?ネットで地図を立ち上げながら、片方でイラストレーターの作業。


帰宅途中、ゼストのふたば書房で立ち読み。やたら自転車関係の雑誌が目につく。ほとんどのページをカタログで埋めているもの、、オネーチャンがキレイな景色の中で自転車を走らせ、いかにもヤラセっぽいもの、、なんだか買おう!と思わせる本になかなかお目にかかれない。ブームとなると、ワッと飛び付く我が国民のサガをここでも思い知る。(ボクもそんな中のひとりなのだが、、)
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# by ozawa-sh | 2008-03-04 21:55 | Comments(1)

鉄道模型

mixi仲間のたっちゃんのブログで、「鉄ちゃん」のことが話題になったのに触発され、今夜のネタは中学、高校時代に夢中になった鉄道模型の話である。実は大学受験の時、当時国鉄がやっていた養成機関、「日本鉄道学園」に行こうかと思ったほど、鉄道が好きだったのである。


鉄道好きには何種類があって、ボクのように模型を作って走らせる派。写真に凝る派。時刻表が好き派。そして関口知宏のように、全国の鉄道をくまなく乗って制覇する派。、、同じ鉄ちゃんでもジャンルは様々なんである。で、ボクは中学から突然模型が好きになり、模型を作る参考にするために各地の機関車区へ行ったりしていた。親切なところでは、わざわざ機関車を車庫から出してくれたこともあった。当時はSLも普通に走っており、学校帰りによく中央線を走るD51を見に行ったものである。当時住んでいた名古屋には何件かの模型屋さんがあり、ずいぶん遠くまで自転車に乗ってパーツを買いに走ったものだ。


高校時代はさらにエスカレートし、鉄道同好会なるものに所属し、ペンネーム「秀ポッポ」を名乗っていた。趣味の本にも投稿し、記事が掲載された時には、天にも昇るうれしさだったことを思い出す。押入の奥から当時作った車両を引っ張り出してみた。ほとんど残っていないのだが、わずかに京成電車や貨車、電気機関車などが、40年の時を経て姿を現した。パンタグラフや台車、モーター以外はすべて手作り。今でも思い出すなあ、車体は0.5ミリ厚のボール紙を切り出し、気の遠くなるような数の窓を切り抜いて張り合わせてある。最後はラッカーでブラシ塗装。だからシンナーの臭いをかぐと、この時代に戻れる。仕上げに車両形式をレタリングする。ここで使うのが「面相筆」。あー、懐かしいなあ、、。


やがて車両を走らせるためのレイアウトを作りたくなったのだが、狭い家なので駅前だけを再現した小さなレイアウトを作ってガマンしていた。しかし学園祭では、大きなレイアウトを徹夜で作り、疲れて机の上で寝たりしたこともあった。レイアウトを作る際、家の形とか、木の生え方、線路ぎわにある様々なストラクチャーなど、普段から実物を観察するクセがついた。また、シリコンで川の水面を表現したり、ガケをプラスター(石膏)で作ったり、プラットフォームにある「仁丹」の看板を描いたり、、 その頃の様々なことが現在のボクの仕事の原点になっているような気がする。


高校を卒業する頃になってくると、人間が枯れてきたのか(?)、地方の軽便鉄道などの古びたディーゼルなどに良さを感じ、自分で設計図を描いて作ったりした。当時行ったこともないくせに、「武蔵野」という土地にすごくあこがれを持ち、そこを走る軽便鉄道にロマンを感じたこともあった。下の写真がそれである。


ボクがやっていた模型のスケールは1/80のHOサイズというものであるが、現在の主流は9ミリゲージという、もっと小さなものである。そして完成品を買って走らせることに主眼が置かれているようだ。しかしボクのように、稚拙ながらも、いちから作り上げていくヨロコビに勝るものはないだろうと思っている。そんな時代を過ごせたことに感謝している。
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# by ozawa-sh | 2008-03-03 22:18 | Comments(5)

布目ダムコースを走る

「ツアー・オブ・ジャパン 奈良ステージ」のコース、「布目ダム周回コース」を走ってきた。ダム周回だけではほんの10キロなので、奈良市内からスタートし、ダムを回り、柳生から帰ってくるというコースを考えた。いや正確には、ガイドブックに紹介されていたのである。(京都・奈良・滋賀 自転車散歩 山と渓谷社刊 1700円)高低表を見ると、「水間トンネル」までにピークがふたつあり、その後も小さなアップダウンを繰り返している。かなりタフそうな感じがした。


朝、思い立ったプランだったので、誰も誘わず、下見のつもりで出掛けた。いつものように奈良少年鑑別所の駐車場に車を置き、自転車を降ろす。木津を過ぎたら奈良坂を越えてすぐだから、奈良というのは大津からも意外に近い。車外に出ると、春の陽気。用意してきたウェアや手袋も最低の装備とし、久々に軽装で走ることにした。県庁前を左折し、すぐに右折すると県道80号線に入った。地図を片手に、間違わずコースインできた。最初少し上りだったのだが、すぐに終わるだろうと思いきや、ずーっと上りが続き、結局須山というところまで1時間上ることになった。途中で大きな鹿が車に轢かれ、道路一面を血の海にしている光景に出くわしてしまった。


少し下ると、またまた水間トンネルまでさらにきつい上りが続く。もう汗ビッショリ。トンネルには幅広い舗道があり、少し暗いけど安心して通ることができた。トンネルをくぐるとしばらく下り、布目ダムに出た。最初は「川かな?」と思うほど小さな水面しか見えなかった。ここからダムに沿ってグルッと回ることにした。車も少なく、手頃なカーブとアップダウンが連続し、最近ローディーの人気スポットになっているらしい。しかしカーブにはオートバイのローリング族予防のための規制がしてあり、ロードでは走りにくい。ボクにはそれほど魅力的なコースとは思えなかった。ダム湖の公園でオニギリを広げ、地図を見ながらお昼にした。風がまったくなく、背中をお日様が照らし、気持ちよい休憩時間となった。目の前にはダムが広がり、たくさんの釣り人が糸をたらしていた。


布目川に沿って、一路柳生を目指す。下りだったのでアッと言う間に柳生の里に到着。「錦生酒造」を通過した。その後アップダウンを繰り返しながら、「夜伎布山口神社」や「円成寺」の横を通過していく。いつもはMTBで来るこういったスポットも、違うコースで来ると、「アレッ、こういう位置関係になっていたんだ」と妙に納得してしまった。楽しいぞ!円成寺からは奈良市内に向かって下り基調。いつもは笠置から来る道を右に見て通過。やがて大仏殿の大屋根も見えてきて、ゴールは間近。距離計は100キロを示していた。


このコースを走ってみると、なんだか上ってばかりのような印象が残る。まるでエッシャーのだまし絵のような感じがする。しかし全体に車が少なく、トレーニングコースとしては非常にいいと思った。
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# by ozawa-sh | 2008-03-02 23:08 | Comments(2)

びわ湖トラスト準備会

「びわ湖トラスト」発足に向けての会議に参加してきた。この法人が発足しようとしている背景はこうだ。昨年の雪不足が原因で起こった琵琶湖湖底の酸素濃度低下。それによって湖底に住む生物が死滅し、またそれを観測する県の探査潜水艦「淡探」の補助金予算がカットされたことを憂慮する人たちが、なんとかしようと思って発起人を募った。基礎データがなければ対策も講じられないわけで、「環境県」を自負する滋賀県の姿勢が問われる。また、琵琶湖の水温も年々上昇し、様々な現象が具体的に現れ始めている。そんな危機感を持った人たちが集まったのである。


この発起人に名前を連ねないかと、昔からのカヌー仲間のビワゴンさんや、自転車・カヌー仲間のタッチャンからお誘いを受けた。しばらく考えたが、やはりカヌーや自転車やハイキングなどで自然の中で遊ばせてもらい、またびわ湖の水を飲んでいるボクとしては、自分ができる範囲で協力したいと思い、仲間に入れてもらうことにした。そして今日、始めて会合に出ることになった。現在、発起人には、アルピニストの野口健さん、画家のブライアン・ウィリアムズさんなどが名を連ね、200名を越えた。ボクなどは一市民でしかないが、(カヌーで沈して)直接琵琶湖の水を飲んだことがあるカヌーイストとして貴重な存在かもしれないと思っている。


「環境を考える場に出向くのに、車ではいかん」と考え、冷たい雨が少し降っていたが、MTBで行くことにした。幸い膳所あたりから雨は止やんだものの、強烈な北風が正面から吹き付け、会議がまさに始まるという時に滑り込みで到着した。場所は「琵琶湖大津館」。天皇陛下も泊まった旧琵琶湖ホテルである。あせって3階へと駆け上がり、ドアを開けると、15名ほどがまさに会議を始めようとしているところだった。ストラーダのハデハデジャージにピチピチパンツを履き、ヘルメットのまま着座した。他の人たちは皆きちんとしたかっこうをしている。ボクはおまけに目一杯急いだので、汗だくで、ハンカチで顔をフキフキしながら自己紹介することになった。まさに場違いなところに飛び込んだような気がした。しかし、昔カヌーを教えたことのある学生などがいて、少し場に溶け込むことができた。


議題は、NPO法人発足に向けての定款の確認とか、事業計画、理事の選出、記者発表などなど、「環境」という直接的な話ではなく、まずは組織としての基礎を固めるための議論がなされた。ボクはそういうことにはとんと興味がないのだが、この団体がこれからとても大切な役割を持っていくだろうという思いでじっと聴き入っていた。会のロゴマークを決める投票用紙が回ってきたので、迷わず自分の作品に○をした。全部で20件くらいあったが、ボクのが現在トップだったので、思わずにんまりしてしまった。さて結果は?


会議室の窓からは琵琶湖が風にあおられて白波をたてていた。「お前を守ってやるぞ!」と、少しヒロイックな気持ちになった。帰りは追い風でグングン飛ばし、右手に夕焼け、左手に琵琶湖とすごくきれいだった。やっぱり「お前を守ってやらねば!」と心に誓った57歳のおざっちであった。(あ、年齢は関係なかったね!?)


写真はなんの変哲もない会議風景。だけど、この会議の持つ意味は大きい(かもしれない)。
# by ozawa-sh | 2008-03-01 22:23 | Comments(5)