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おざっちの笛吹き日記

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名古屋ノスタルジックツアー 2

実家から小学校までの距離は大人になると、「あれ、こんなに近かったっけ?」と思うことがあるそうだが、ボクの場合はほぼ予想通りの距離感だった。卒業以来、時々この小学校のことを思い出していたので、それほどの違和感がなかったのかもしれない。校庭の広さにしても、「そうそう、ここで6年間を過ごしたんや」といった感慨が湧く程度だった。少しはこみ上げてくるものがあるかと思ったのだが、案に相違してそれほどでもなかった。それでも、担任の先生の顔を思い出したりして、懐かしかった。当時若かった先生も、今は70から80歳になっていることだろう。


歩いて10分ほど離れた城北幼稚園へと急いだ。それこそ遠い記憶の彼方にある、さらにおぼろげな記憶。お遊戯をしているセピア色の写真。果たしてどのようなことになっているのか。幼稚園はまったく新しい建物になり、目の前に現れた。仏教系の幼稚園なので、門もなにやらそれ風になっていた。ボクは吸い寄せられるように園に近づき、フェンス越しに中を覗いた。冬休みなので、園児達の姿はなく、シーンとしていた。今度はいつ来れるか分からない。景色を心に収めてこの場を離れた。


市バスに乗り、「東片端」で降り、東白壁町を歩く。このあたりは閑静な高級住宅街で、電柱の姿も見あたらず、実にスッキリした町並みだ。さらに10分ほど歩くと運動をしている若者達の声が聞こえてきた。我が「東海学園」は目と鼻の先であった。校門前で同級生のK君と待ち合わせをしていた。すでに来ており、二人で中に入ってみた。しかし、当時と校舎やグラウンドなどはまったく変わってしまっており、唯一「明照殿」という礼拝堂だけが残っていた。この学校も浄土宗のいわゆる坊さん学校で、全員が丸ボウズにしなければならなかった。ほとんどの先生が坊さん。完全な受験校であり、高校2年にはすでに3年までのカリキュラムを終え、あとは国公立進学があたりまえ、悪くて早稲田・慶応という至上命令に向けてのガリ勉体制が敷かれていた。ボクも毎晩2時くらいまで勉強したものだ。とにかく宿題の量はハンパじゃなかった。


明照殿の前に立つ。バロック様式のなかなか存在感のある建物である。この前のグラウンドでハンドボール部の練習に汗を流したことを思い出す。記念祭には大きなたき火が焚かれた。近くにある金城学院の女子高生が来ると、全員窓の外を見て、授業にならなかったことを思い出す。ボクの青春はまさにこの学園から始まった。近くにいた学生さんに記念写真を撮ってもらったが、彼はもうボウス頭ではなかった。


日が傾いてきた。東海の近くの「徳川苑」の脇を通り坂を下り、「大曽根」から地下鉄で名駅へ向かう。K君の知っている店で「みそかつ定食」を食べた。ボクもやはり名古屋人だったのか、このみそかつは絶品だと思えた。次から次ぎへと昔の話に花が咲いた。


駅から出るとすっかり暗くなっていた。イルミネーションがキラキラと駅前を飾り、元気な名古屋を象徴しているかのようだった。


写真は上から
幼稚園の門
東海のシンボル明照殿。普段は柔道場、、だったと思う。
昼に食べたご存知きしめん。これもうまかったなあ。
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by ozawa-sh | 2008-01-06 16:29