2017年 06月 26日
フルートの仲間との8年間
定年を前にし、30年ぶりに復活したフルート演奏。長く眠っていたフルートを下取りに、退職金をあてにして金製のフルートも買ってしまった。レッスンにも通い始め、本格的に取り組むことにした。
しかし、やはり一緒に演奏する仲間が欲しいと探し始め、京都の山科に「ZEPHYR」というフルートアンサンブルがあることを知った。どの程度のレベルなんだろうと、練習会場へ行き、実はドアの外でしばらく様子を伺っていた。そこから聞こえてくる演奏は思った以上に上手で、ドアを開けずにそのまま帰ってしまったのであった。
しかし、やはりアンサンブルをやりたいという思い断ちがたく、翌週再び行き、思い切って会場のドアを開けることとなった。そこには、数名の人が指導者の先生を中心にフルートを演奏する風景があり、しばらくの見学の後、吸い込まれるように入団してしまった。
その後何度か練習に参加し、なんとか演奏にはついていけたので、「よし、これなら行けそうだ」と思った。徐々にメンバーの顔と名前を覚え、親しくなっていった。
やがてメンバーの一人から低音のバスフルートの購入を勧められ、買うことにした。アンサンブルを支える低音の面白さに目覚め、その後はバスを専門に吹くこととなった。
そしてボクも60歳を迎え、なにか記念になることをやりたいと思い、「還暦コンサート」というものをやることにした。琵琶湖大橋のたもとの「ヤンマーマリーナ」のレストランを借り切って、主だった友人を招きやることにした。ゼフィルの仲間もアンサンブルで参加してくれることになった。
ゼフィルの定期演奏会がやがて始まり、デザイナーという職歴を生かして、ボクはチラシやプログラムを作る担当になった。ひとつのイベントを作り上げ、そこに人を呼び込むというのは、しんどいけどなかなか楽しい作業だった。過去にはカヌーの大会を主催するという、畑違いではあるが同じようなことをやったことがあるのだが、演奏会をやるというのはより緻密な仕事と感じた。
定演以外にもゼフィルの仲間数人で、老人ホームやレストラン、はたまた町内会の依頼演奏などにも出演し、その場その場に応じた対応など、たくさんの経験をした。また知り合ったピアニストと、東京での演奏に行ったこともあった。
そんな中、ステージで「あがる」ということも何度かあり、練習でできていたことができないという苦い経験も何度かした。それは今でも続いているのだが。
時が経ち、定演も今年で6回目を迎えたのだが、徐々に自分の中で「しんどい」という気持ちが芽生え出していた。ゼフィル全体のレベルがアップし、それに応じた難しい曲が選択されるようになってきたのだ。ボクより若いメンバー、しかもほとんどが中・高校時代に吹奏楽を経験した人たちばかりで、そういった曲に楽々とついていくのだが、ボクひとり曲の途中で迷子になったり、リズムを刻めなくなる場面があった。
また、重たいバスフルートばかりでなく、譜面に普通のコンサートフルート、水などなどを担いで練習会場まで行く気力が衰えてきているのを感じていた。自転車やカヤックを漕いだりするのとはまた違うしんどさである。特に雨の日には自転車で行けないので、歩くかバスに乗るしかないのだが、その距離もかなり遠く感じる。
やめる決心が徐々に固まってきたのはそんな動機だったかもしれない。そして決定的になったのは、同じ大津市内で活動するフルートアンサンブルVIVOの演奏を聴きに行った時のことだった。市の広報で知った演奏会。「へ~、こんなに近くにフルートアンサンブルがあったのか」とごく軽い気持ちで聴きに行った。広々とした公民館のホールで行われたのだが、中高年を中心としたメンバーの演奏はレベルこそそれほど高いわけじゃなかったのだが、なぜか心に響き、心に残った。演奏終了後メンバーの人と話し、ここならそれほど気負わずにやれるのではないかと思った。
練習が金曜日の午前中という、まさに中高年しか参加できない時間設定だ(笑)。練習会場も広々とした板張りのよく響く会場だし、駐車場も広々、家から車で10分と近い。また指導者の先生は、元京都市交響楽団のオーボエ奏者ということで、練習に参加してみて分かったのだが、的確な指導をしてくれる。みみっちい話だが、月額費も安い(笑)。
ということでしばらくしてからお試し練習会に参加し、その場で入団を決めてしまった。しかしその時点ではまだゼフィルに未練を残していた。実にどっちつかずの不安定な心境であったことは事実である。こういうことの判断というのは難しい。ゼフィルの仲間と過ごした8年間の重みということを考えると、退団することがいいのかどうか迷う。バスの後釜をどうするのか、チラシやプログラムは誰が作るのかなど、そういう責任をどうとったらいいのかということもある。
しかし、心はどんどんVIVOの方に傾き、すべてを振り切って入団する決心をした。VIVOの中の数名でやっているアンサンブルの依頼演奏に参加したことも後押ししている。曲もいままでより簡単で、気楽に演奏できる。でもそれはゼフィルで鍛えてもらったおかげだ。
そして迎えた最後の演奏が昨日あった。ゼフィルの仲間と合奏する最後の演目は、ボロディン作曲の「韃靼人の踊り」。テンポが変化するこの曲に、最初は本当についていくのに苦労したのだが、直前になってようやく曲が分かってきて演奏できるようになった。そうなってくると楽しいと思えた。
昨日は発表会ということで、ボクは以前からヴァイオリンとやりたかったJ.S.バッハの「オーボエとヴァイオリンと通奏低音のための協奏曲 BWV1060」を演奏することにした。たまたま知り合ったヴァイオリニストに声をかけ、実現することになった。通っている個人レッスンでも指導を受け、しっかり仕上げてステージに立った。途中から口の中が乾いて練習のときのような柔らかい表現ができなかったが、なんとか演奏し終え、会場からは「ブラボ~!」の声もかけてもらって無事終了した。
最後にゼフィルで「韃靼人の踊り」を演奏した。苦労した曲、仲間と演奏する最後の曲ということで、思いを込めて演奏した。リズムをはずすこともなく演奏することができた。エンディングに向かって盛り上げていく曲なので、思ったほど込み上げるゆとりは無かったのだが、演奏し終わり、聴衆に向かって立ち上がった時には、「ああ、これで終わったんだな」という思いがあった。
すべてが終了後は打ち上げとなり、ひとことコメントで「退団します」と言った時には、その場の皆さんから「え~っ、なんで~!?」と言われてしまった。お礼の言葉を言ううちにホロリとしそうになったので、言葉半分でやめることにした。
寂しいようなホッとしたような、、、そんな気持ちの夜だった。
しかし、やはり一緒に演奏する仲間が欲しいと探し始め、京都の山科に「ZEPHYR」というフルートアンサンブルがあることを知った。どの程度のレベルなんだろうと、練習会場へ行き、実はドアの外でしばらく様子を伺っていた。そこから聞こえてくる演奏は思った以上に上手で、ドアを開けずにそのまま帰ってしまったのであった。
しかし、やはりアンサンブルをやりたいという思い断ちがたく、翌週再び行き、思い切って会場のドアを開けることとなった。そこには、数名の人が指導者の先生を中心にフルートを演奏する風景があり、しばらくの見学の後、吸い込まれるように入団してしまった。
その後何度か練習に参加し、なんとか演奏にはついていけたので、「よし、これなら行けそうだ」と思った。徐々にメンバーの顔と名前を覚え、親しくなっていった。
やがてメンバーの一人から低音のバスフルートの購入を勧められ、買うことにした。アンサンブルを支える低音の面白さに目覚め、その後はバスを専門に吹くこととなった。
そしてボクも60歳を迎え、なにか記念になることをやりたいと思い、「還暦コンサート」というものをやることにした。琵琶湖大橋のたもとの「ヤンマーマリーナ」のレストランを借り切って、主だった友人を招きやることにした。ゼフィルの仲間もアンサンブルで参加してくれることになった。
ゼフィルの定期演奏会がやがて始まり、デザイナーという職歴を生かして、ボクはチラシやプログラムを作る担当になった。ひとつのイベントを作り上げ、そこに人を呼び込むというのは、しんどいけどなかなか楽しい作業だった。過去にはカヌーの大会を主催するという、畑違いではあるが同じようなことをやったことがあるのだが、演奏会をやるというのはより緻密な仕事と感じた。
定演以外にもゼフィルの仲間数人で、老人ホームやレストラン、はたまた町内会の依頼演奏などにも出演し、その場その場に応じた対応など、たくさんの経験をした。また知り合ったピアニストと、東京での演奏に行ったこともあった。
そんな中、ステージで「あがる」ということも何度かあり、練習でできていたことができないという苦い経験も何度かした。それは今でも続いているのだが。
時が経ち、定演も今年で6回目を迎えたのだが、徐々に自分の中で「しんどい」という気持ちが芽生え出していた。ゼフィル全体のレベルがアップし、それに応じた難しい曲が選択されるようになってきたのだ。ボクより若いメンバー、しかもほとんどが中・高校時代に吹奏楽を経験した人たちばかりで、そういった曲に楽々とついていくのだが、ボクひとり曲の途中で迷子になったり、リズムを刻めなくなる場面があった。
また、重たいバスフルートばかりでなく、譜面に普通のコンサートフルート、水などなどを担いで練習会場まで行く気力が衰えてきているのを感じていた。自転車やカヤックを漕いだりするのとはまた違うしんどさである。特に雨の日には自転車で行けないので、歩くかバスに乗るしかないのだが、その距離もかなり遠く感じる。
やめる決心が徐々に固まってきたのはそんな動機だったかもしれない。そして決定的になったのは、同じ大津市内で活動するフルートアンサンブルVIVOの演奏を聴きに行った時のことだった。市の広報で知った演奏会。「へ~、こんなに近くにフルートアンサンブルがあったのか」とごく軽い気持ちで聴きに行った。広々とした公民館のホールで行われたのだが、中高年を中心としたメンバーの演奏はレベルこそそれほど高いわけじゃなかったのだが、なぜか心に響き、心に残った。演奏終了後メンバーの人と話し、ここならそれほど気負わずにやれるのではないかと思った。
練習が金曜日の午前中という、まさに中高年しか参加できない時間設定だ(笑)。練習会場も広々とした板張りのよく響く会場だし、駐車場も広々、家から車で10分と近い。また指導者の先生は、元京都市交響楽団のオーボエ奏者ということで、練習に参加してみて分かったのだが、的確な指導をしてくれる。みみっちい話だが、月額費も安い(笑)。
ということでしばらくしてからお試し練習会に参加し、その場で入団を決めてしまった。しかしその時点ではまだゼフィルに未練を残していた。実にどっちつかずの不安定な心境であったことは事実である。こういうことの判断というのは難しい。ゼフィルの仲間と過ごした8年間の重みということを考えると、退団することがいいのかどうか迷う。バスの後釜をどうするのか、チラシやプログラムは誰が作るのかなど、そういう責任をどうとったらいいのかということもある。
しかし、心はどんどんVIVOの方に傾き、すべてを振り切って入団する決心をした。VIVOの中の数名でやっているアンサンブルの依頼演奏に参加したことも後押ししている。曲もいままでより簡単で、気楽に演奏できる。でもそれはゼフィルで鍛えてもらったおかげだ。
そして迎えた最後の演奏が昨日あった。ゼフィルの仲間と合奏する最後の演目は、ボロディン作曲の「韃靼人の踊り」。テンポが変化するこの曲に、最初は本当についていくのに苦労したのだが、直前になってようやく曲が分かってきて演奏できるようになった。そうなってくると楽しいと思えた。
昨日は発表会ということで、ボクは以前からヴァイオリンとやりたかったJ.S.バッハの「オーボエとヴァイオリンと通奏低音のための協奏曲 BWV1060」を演奏することにした。たまたま知り合ったヴァイオリニストに声をかけ、実現することになった。通っている個人レッスンでも指導を受け、しっかり仕上げてステージに立った。途中から口の中が乾いて練習のときのような柔らかい表現ができなかったが、なんとか演奏し終え、会場からは「ブラボ~!」の声もかけてもらって無事終了した。
最後にゼフィルで「韃靼人の踊り」を演奏した。苦労した曲、仲間と演奏する最後の曲ということで、思いを込めて演奏した。リズムをはずすこともなく演奏することができた。エンディングに向かって盛り上げていく曲なので、思ったほど込み上げるゆとりは無かったのだが、演奏し終わり、聴衆に向かって立ち上がった時には、「ああ、これで終わったんだな」という思いがあった。
すべてが終了後は打ち上げとなり、ひとことコメントで「退団します」と言った時には、その場の皆さんから「え~っ、なんで~!?」と言われてしまった。お礼の言葉を言ううちにホロリとしそうになったので、言葉半分でやめることにした。
寂しいようなホッとしたような、、、そんな気持ちの夜だった。
by ozawa-sh
| 2017-06-26 11:51