おざっちの漕ぎコギ日記2

コンサートが続く

明日、明後日と連ちゃんで演奏会。
まず明日は、東大阪で。会場は、いつも伴奏してもらっているピアニストの練習室なのだが、個人の練習室にしてはとても広くて、音の響きも良い。そしてピアノ二台に電子ピアノも置いてあるのに、さらに20人ぐらいは入れる広さ。ボクのフルート、声楽、ヴァイオリンがそれぞれ演奏する。
ボクはフォーレのシチリアーノ、風笛、モーツァルトのアダージョの三曲を演奏する。いずれも過去にやった曲なので、気楽ではある。
さらに明後日は、県立図書館の近くにある、「夕照庵(せきしょうあん)」という茶室で、フルート5本で演奏する。セミクラシックから昔のグループサウンズまで幅広い選曲。ただ、場所が畳敷きの茶室なので、残響がほとんどゼロ。ちょっとやりにくい。

ということで、演奏会が目白押しなのだが、さらに25日には所属するアンサンブルの発表会があり、ボクはヴァイオリンとのデュエットで出る。曲はバッハのBWV1060で、いつかはやりたいと思っていた曲。オーボエの替わりにフルートで演奏する。以前ご一緒したヴァイオリニストが出てくれるというので、夢がかなった。レッスンに通っている先生もこの曲をみてくれているので、当日は楽しんで吹きたい。
名手ホリガーとクレメルが共演しているので、貼っておこう。(ユーチューブより)

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決心

今日はゼフィルの練習日。朝から気が重い。今度の発表会でやる曲、「韃靼人の踊り」を練習しているのだが、最初楽譜を見たときは「楽勝!」と思ったのだが、練習が進むにつれて、この曲はかなり手ごわいと分かった。指導の先生には基本的なところで何回も注意されている。個人練習しても、アンサンブルの中で吹くと、どうしても上手く吹けない部分があるのだ。歳のせいだとは思いたくないけど、やっぱり若いときほど頭の柔軟性が無くなってきているのを感じる。
そういったこととか、重たいバスフルートを背中に背負って練習会場へ行くのも、最近はどうも大変に感じるようになってきた。特に雨の日は余計その大変さが身に沁みる。駅まで車で行くにしても置くところが無いし、バスで行くのも大変なのだ。
まあ他にも理由はあるのだが、このままゼフィルにいても、楽しくはないと思った。

そんなときにたまたま聴きに行ったVIVOという地元のフルートアンサンブル。全体的に年齢が高く、レベルも今のところほどではないのだが、ほのぼのと楽しい曲を楽しそうに演奏している姿が印象的だった。指導者の先生もプロの方(元京都市交響楽団のオーボエ奏者)で、信頼できそうな気がした。

そういうタイミングもあって、ボクの気持ちは一気にこの新しいアンサンブルの方へ傾いていった。ゼフィルには足掛け8年ほど在籍していて、たくさんのコンサートや発表会を供に経験してきた仲間たちだ。でも、いやいややっていて迷惑をかけたくないという気持ちがあり、今が潮時と考えた。

練習が終わり、メンバーがすべて帰った後、先生に切り出した。
「あの、6月の発表会を最後に、退団したいと思うのですが」
「えっ!ほんとですか。低音パートが充実してきたのに、、、どういう理由で?」
「う~ん、最近なんだかしんどくなってきたんです。皆についていくのが精一杯ですし、反応が遅くなったというのか、、、それに、ここへ来るのもなんだかしんどく感じるようになって、、、」
「なるほど、、、おいくつになられたんですか?」
「はい、67歳に」
「あ、分かります。それじゃ、発表会まではがんばっていただいて、退団ということで了解しました」
ということだった。慰留されるかと思ったが、ボクの決心が固いと見たのだろう。先生は気持ち良く退団を認めてくれた。

山科駅までバスフルートを背負って、ゆっくり歩いた。なにかのお祭をやっていて、道の両側にたくさんの屋台が並んでいた。そんな賑わいの中を、なにか寂しいような晴れ晴れとしたような、妙な気持ちを抱きながら、「よし、これで良かったんだ」と自分に言い聞かせながら歩いた。駅裏の山の新緑がまぶしかった。
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プロバイダーを換えた

長年eo光だったのを、今回「ZTV」というケーブルテレビに変更した。ある日ZTVのセールスマンが来て盛んに勧めるので、その気にはなっていたのだが、如何せん、それにともなう手間が大変なので正直尻込みしていた。
一番大変だと思ったのはメールアドレスの変更なのだが、「それも私どもでやりますので」というひと言で乗り換える決心をした次第。なんせ、ひと月の使用料が今までより2000円近く安いというのが魅力。また、今まではBSを録画することができなかったのだが、今度は録画できると言う。

で、ある日クレーン車が来て、引き込み線を取替え、ルーターなどを交換し、パソコンの方の設定をして終了。さらに約束どうりメール変更の手続きもしてくれて、すべてがすんなり終わった。ネットを見るスピードも速くなったような気がする。今のところなんの不具合もなく、乗り換えて良かった。

それにしても、今やネットは生活の必需品となり、ネットなしの生活というのは考えられない世の中になってしまったなあ。
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メンテナンス メンテナンス メンテナンス!

(障子貼りのこと)
和室で寝ているのだが、障子があちこちめくれてきて気になっていた。窓ガラスもあるしカーテンもあるから、寝るのには問題ないのだが、見てくれがなんとも貧乏ったらしい。で、遂に我慢ならず本日貼り替えることにした。業者に頼むと結構高いから年金生活者はDIYするのだ。
アヤハ(DIYの店)へ行くと、色々な障子を売っている。今のトレンド?は、アイロンの熱で貼るタイプ。もちろん糊で貼るものもあるのだが、枠に刷毛で糊を塗っていき、障子紙を貼るのが結構手間なんである。で、試しにアイロンで貼るタイプのものでやってみることにした。
まずは、障子紙を取り除く作業から。ビリビリと手で破り、外へ持っていって水をかけながらタワシで剥がしていく。
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数時間、木枠を乾かしたら室内に持ち込み、買ってきたロール状の障子紙を伸ばして貼る。熱くなったアイロンを、中心から周囲へと伸ばすようにあてがっていく。この紙は、熱で木枠に貼りつくようにできている。
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余分なところをカッターで切り取る。最後は、霧吹きで全面に水を与え、乾かすとピンと気持ち良く張る。はいこれで出来上がり。
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(洗面台の洗浄のこと)
なんだか水の流れが悪くなった洗面台。これはきっと、髪の毛やヘドロがパイプに詰まっているに違いないと、洗浄することにした。だいたい半年に一回ぐらいはこうやって流れが悪くなる。しかしやっかいなのは、上下に動く水を溜めるための「栓」。レバーと連動している箇所が、結構複雑な機構になっていて、バラすのは簡単なのだが、洗浄し終わってからはめるのに苦労する。
今日もはいつくばってこの作業をやった。パイプをはずしている間、上からポタポタと落ちてくる水はバケツに受ける。暗くて狭い場所での作業だ。
レバーのところもなんとかはめ終え、パイプジョイントもしっかり締め付けて終了。水を流すとサ~~っと気持ち良く流れていく。
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(サイクルコンピューターの電池切れのこと)
今日は石山朝練の日。早朝、さて出発しようとサイクルコンピューターをセットしようとしたら、表示が出ていない。時間もなかったので、そのまま出発。走りながらチェックするスピードも、今日はまったく分からず、勘で走るしかない。
帰宅してからコンビニで電池を二個買い求め、センサー側とメーター側の両方を交換してやった。交換なんてすぐ終わるのだが、面倒なのはセッティング。まずはキロかマイル表示かを決め、タイヤの周長の入力、時間の設定などをせねばならない。取説を引っ張り出しああでもないこうでもないと悪戦苦闘。なんとか設定できたが、取説が分かりにくかった。
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(脚の毛剃りのこと)
自転車乗りの常識といったら、「すね毛剃り」でしょう。その理由は、、、
● マッサージしやすい。
● ケガしたときに治療しやすい。
● 空気抵抗の軽減。
● 見た目がかっこいい。

と、たくさんあるのだ。ボクももう数十年剃っている。冬場は伸ばしているが。
ということで、風呂に入ったときに髭剃りでジョリジョリと剃ってやった。
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とまあ、本日は色々とメンテナンスの日であった。あ、現在バスフルートもメーカーにメンテナンスに出しているが、こればっかりは自分ではできないのであった。
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67歳の誕生日

本日でめでたく67歳。昭和25年生まれなんて、もうずいぶん昔に感じられる時代になってしまった。でも考えてみれば、戦争が終わりしばらくしてから生まれたボクらの世代は、高度成長期に入社してどんどん給料がアップし、世の中が便利になり、やがて日本経済が陰りを見せる頃に退社を迎えるという、ある意味一番良い時代を生きた世代かもしれない。
この間、自分の趣味に没頭する余裕もあり、それなりに蓄えもあるから、リタイアした今を楽しく過ごしていると言えよう。

幼少期は豊かな自然の中で土に触れ、子ども同士で色々な遊びをし、木を削ってモノ作りをし、今考えると精神的にも肉体的にも知らず知らずのうちに自分を深く耕していたと思う。スマホもパソコンもなにもなかったけど、自分の周囲にはそんななにか栄養たっぷりの環境があったように思う。

鉄道模型に夢中になっていた中学・高校時代は、部品を買い求めるために自転車で遠くの模型店へ行き、カッターで車体を切り出し、パーツを取り付け、ラッカーで色を塗る。おもりを作るため、当時使われていた鉛の水道管をガスで溶かして木の型枠に流し込む、なんていう危ないことをやったりしていた。また、鉄道ジオラマを作るために街の風景や建物を観察し、それを模型に再現するための材料探し。機関区へ行って写真を撮ったときには、わざわざ機関車を車庫から出してくれる、なんていう今では考えられないような親切に会ったこともあった。
そういったことが、デザインへの道に繋がっていったと考えられなくもないだろう。

滋賀に住むようになってからはアウトドアに目覚めたのだが、形は変わってもやはり子ども時代のことが土台になっているような気がする。自然、文化、歴史、人、、、そういったものへの興味が、いまだに飽きることなく深まっていく。

「この世は自分を探しにきたところ」。陶芸家、河井寛次郎の言葉だが、今後果たしてどんな自分を見ることができるのか、楽しみではある。
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