2017年 10月 16日
カヤックでビワイチ 準備からスタート初日
長年の夢だったのが、「カヤックによる琵琶湖一周」。自転車では何度も回っているが、時速8キロ程度しか出せないカヤックで一周するには、少なくとも5日は必要である。しかも宿泊はすべてキャンプでと決めていた。旅はすべからく、すべてを自分でやるのが旅と思っているから、そこにこだわっていた。自分でハードルを高くするタイプ(笑)。
そんな折、「琵琶湖周航の歌」が今年で百年を迎えると聞き、やるなら今年しかないと思った。当時三高(現京都大学)ボート部の「小口太郎」という学生が、「ひつじぐさ」という曲に乗せて詩を書いたもので、全部で六番まである。「我は湖(うみ)の子~、、、♪」で始まるこの曲は、本当に良い曲で、ボクも大好きだ。
で、これらの歌碑が、琵琶湖の周囲に全部で七箇所あり、それを巡りながらカヤックで一周すれば、旅はさらに味わい深いものになるだろうと思った。
歌碑を一番からたどるとすると、コースは自ずから時計回りとなる。さらにコースを鑑みて、次の宿泊地を決めた。
(初日) 近江舞子
(二日目) 知内浜
(三日目) 長浜or彦根
(四日目) 近江八幡
こんなときに、強力な同伴者が現れた。その人はHarmattanさんと言い、自作でシーカヤックを作ってしまった人。彼がガレージで製作しているとき、たまたまボクが自転車で通りかかったというわけ。一旦は通り過ぎたのだが、「アレッ!?」と思い、引き返したのが運のつき(笑)、意気投合して友人となってしまった。そして「自作艇で琵琶湖を一周する」という彼の夢に、ボクも乗ることになったのが事の次第である。男の夢と夢が、ガップリ四つに組んでしまったのである。
本当は5月に決行の予定であったが、互いの都合がつかず、10月になってしまった。
その顛末を三回に渡って書いていこうと思う。ではでは、、、
(準備とスタート初日)
使うカヤックは、以前ビワゴンさんから中古で購入した、フジパドルスポーツ製のシーカヤック。細身のフネで、ラダーもついている。前後の荷室は広く、今回のキャンプ程度の荷物ならなんとか収まりそうだ。
また、パドルも中古のLENDAL社製のもの。以前は、スプーン形状のパドルを使っていたのだが、引きが重く、フラットなものに替えた。長距離には、楽に漕げるパドルでないと腕の負担となる。
シュラフと下に敷くマットは新しく購入した。問題はテント。記憶にないほど昔に買った、Eurekaのひとり用テントなのだが、シール部分が剥がれてしまい、しかも接着部分がネチャネチャとして劣化している。しかしテントを買うゆとりがなく、今回を最後と決めてこれを使うことにした。
キャンプとなると、食器や食材、また灯りやトイレのことも考えないといけない。衣類なども必要。その他たくさんのモノがリストに並んだ。それらを分類して袋に収めた。絶対に濡れてはいけない携帯や財布などは、防水袋に収納した。しかし前後荷室は、完全防水になっているから、ここに入れておけば濡れることはないのだが。
食材と料理に関しては、山男でもあるHarmattanさんにお任せした。旅の途中、すっかりお世話になってしまった。ただ一度だけ、長浜での昼食だけは、ボクのお得意料理?である「ニラ玉そうめん」を作った。
出発当日を迎えた。Harmattanさん宅は瀬田川に面しているので、スタートはそこと決めた。ズッシリと重くなった二杯のカヤックを水面に浮かべ、乗り込んだ。これだけの重量のカヤックがどこまで沈むのか不安だったが、少し喫水を下げただけだった。
奥さんの見送りを受け、8時45分、静かにスタートした。天気は晴れており、風もない絶好の日和。静かな水面を切り裂くようにしてカヤックが走り出す。今日から五日間のカヤックによる旅が始まるという心の昂ぶりが、思わずパドリングのピッチを早くする。
近江大橋を通過し、びわ湖大津プリンスホテルを左手に見ながら通過する。いつもは自転車から見るこのかまぼこ形の建物も、なんだか新鮮に見える。びわ湖ホール、琵琶湖ホテルも通過。相変らず湖面は静まり返っている。
大津港を過ぎると、すぐに第一番の歌碑がある、旧三高の艇庫が見えてくる。ここに上陸し裏手にある歌碑へ行く。それぞれの歌碑を写真に収めることにしているので、ここで記念撮影。
北上する。坂本城跡を過ぎ、右手に烏丸半島を見ながら雄琴、堅田の「浮御堂」「出島(でけじま)灯台」と漕いでいけば、琵琶湖大橋のアーチが見えてくる。橋のたもとの道の駅「米プラザ」にて昼食とする。
和邇、蓬莱と過ぎ、松ノ浦を過ぎれば、やがて本日のキャンプ地である「近江舞子」に到着した。水が透明で松林も美しく、南湖にこんなに良いキャンプ場があるとは知らなかった。
第二の石碑は、ホテル琵琶レイクオーツカ前にあった。「松は緑に~」の歌詞は、この二番までしか暗譜で覚えていない。
さて、このキャンプ地ではHarmattanさんの知人の接待をしていただくことになった。風呂と美味しい食事をいただくことになった。しかもキャンプ地までの送迎付き。おじさん二人の「冒険旅行」は、早くも「なんちゃって冒険旅行」となっていったのであった。
そんな折、「琵琶湖周航の歌」が今年で百年を迎えると聞き、やるなら今年しかないと思った。当時三高(現京都大学)ボート部の「小口太郎」という学生が、「ひつじぐさ」という曲に乗せて詩を書いたもので、全部で六番まである。「我は湖(うみ)の子~、、、♪」で始まるこの曲は、本当に良い曲で、ボクも大好きだ。
で、これらの歌碑が、琵琶湖の周囲に全部で七箇所あり、それを巡りながらカヤックで一周すれば、旅はさらに味わい深いものになるだろうと思った。
歌碑を一番からたどるとすると、コースは自ずから時計回りとなる。さらにコースを鑑みて、次の宿泊地を決めた。
(初日) 近江舞子
(二日目) 知内浜
(三日目) 長浜or彦根
(四日目) 近江八幡
こんなときに、強力な同伴者が現れた。その人はHarmattanさんと言い、自作でシーカヤックを作ってしまった人。彼がガレージで製作しているとき、たまたまボクが自転車で通りかかったというわけ。一旦は通り過ぎたのだが、「アレッ!?」と思い、引き返したのが運のつき(笑)、意気投合して友人となってしまった。そして「自作艇で琵琶湖を一周する」という彼の夢に、ボクも乗ることになったのが事の次第である。男の夢と夢が、ガップリ四つに組んでしまったのである。
本当は5月に決行の予定であったが、互いの都合がつかず、10月になってしまった。
その顛末を三回に渡って書いていこうと思う。ではでは、、、
(準備とスタート初日)
使うカヤックは、以前ビワゴンさんから中古で購入した、フジパドルスポーツ製のシーカヤック。細身のフネで、ラダーもついている。前後の荷室は広く、今回のキャンプ程度の荷物ならなんとか収まりそうだ。
また、パドルも中古のLENDAL社製のもの。以前は、スプーン形状のパドルを使っていたのだが、引きが重く、フラットなものに替えた。長距離には、楽に漕げるパドルでないと腕の負担となる。
シュラフと下に敷くマットは新しく購入した。問題はテント。記憶にないほど昔に買った、Eurekaのひとり用テントなのだが、シール部分が剥がれてしまい、しかも接着部分がネチャネチャとして劣化している。しかしテントを買うゆとりがなく、今回を最後と決めてこれを使うことにした。
キャンプとなると、食器や食材、また灯りやトイレのことも考えないといけない。衣類なども必要。その他たくさんのモノがリストに並んだ。それらを分類して袋に収めた。絶対に濡れてはいけない携帯や財布などは、防水袋に収納した。しかし前後荷室は、完全防水になっているから、ここに入れておけば濡れることはないのだが。
食材と料理に関しては、山男でもあるHarmattanさんにお任せした。旅の途中、すっかりお世話になってしまった。ただ一度だけ、長浜での昼食だけは、ボクのお得意料理?である「ニラ玉そうめん」を作った。
出発当日を迎えた。Harmattanさん宅は瀬田川に面しているので、スタートはそこと決めた。ズッシリと重くなった二杯のカヤックを水面に浮かべ、乗り込んだ。これだけの重量のカヤックがどこまで沈むのか不安だったが、少し喫水を下げただけだった。
奥さんの見送りを受け、8時45分、静かにスタートした。天気は晴れており、風もない絶好の日和。静かな水面を切り裂くようにしてカヤックが走り出す。今日から五日間のカヤックによる旅が始まるという心の昂ぶりが、思わずパドリングのピッチを早くする。
近江大橋を通過し、びわ湖大津プリンスホテルを左手に見ながら通過する。いつもは自転車から見るこのかまぼこ形の建物も、なんだか新鮮に見える。びわ湖ホール、琵琶湖ホテルも通過。相変らず湖面は静まり返っている。
大津港を過ぎると、すぐに第一番の歌碑がある、旧三高の艇庫が見えてくる。ここに上陸し裏手にある歌碑へ行く。それぞれの歌碑を写真に収めることにしているので、ここで記念撮影。
北上する。坂本城跡を過ぎ、右手に烏丸半島を見ながら雄琴、堅田の「浮御堂」「出島(でけじま)灯台」と漕いでいけば、琵琶湖大橋のアーチが見えてくる。橋のたもとの道の駅「米プラザ」にて昼食とする。
和邇、蓬莱と過ぎ、松ノ浦を過ぎれば、やがて本日のキャンプ地である「近江舞子」に到着した。水が透明で松林も美しく、南湖にこんなに良いキャンプ場があるとは知らなかった。
第二の石碑は、ホテル琵琶レイクオーツカ前にあった。「松は緑に~」の歌詞は、この二番までしか暗譜で覚えていない。
さて、このキャンプ地ではHarmattanさんの知人の接待をしていただくことになった。風呂と美味しい食事をいただくことになった。しかもキャンプ地までの送迎付き。おじさん二人の「冒険旅行」は、早くも「なんちゃって冒険旅行」となっていったのであった。
by ozawa-sh
| 2017-10-16 22:49