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おざっちの笛吹き日記

ozatti.exblog.jp

ポルトガル旅行記 1

座席前のモニターが、我々の乗ったTK0046便が、日本海を渡り終え、中国地方に接近していることを示していた。窓を開けてみるとなるほど、眼下にはチカチカと暖かそうな町や道路の灯がまたたいている。その明かりにボクはなんだかちょっとウルウルしてしまいながら、長かった今回のポルトガルの旅を振り返っていた。
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完全リタイアしたら、どこか長期の旅に出たいというヨメのリクエスト。しかし、互いに色々な習い事や雑用スケジュールが入っており、なかなかまとまった休暇を取るのが難しかった。お気軽にパック旅行を、ということも考えたのだが、それでもなかなか調整がつかず、仕方なく一番空いていそうな期間を狙い、自分で旅のプランを作ることにした。三年前のドイツ旅行もバックパックの旅だったから、「まあ、ヨーロッパなんて、同じもんだろう」などと思い、宿も最初の三泊ほどを予約しただけで、後は行き当たりばったりの旅をすることにした。

日程を決め、「さて、どこへ行こう」という段になって考えたのがポルトガルだった。なぜポルトガル?ということになるけど、特に理由はなく、あえて言えばこの時期ヨーロッパは秋から冬へと入り、暖かい国、ということで南の方を考えた次第。スペインへ行く人は多いらしいので、「じゃあその隣のポルトガルでも行くべか」、ということになった次第。また、1584年前には、「天正遣欧少年使節」という、まだ13歳だったイエズス会の少年たちがこの国を訪れ、その跡をたどる、などという高尚な旅の目的も作ってみることにした。

さあ、果たしてそんな勝手気ままな旅が本当にできたのでしょうか?その顛末をボチボチとお読みくだされ。

北海道と四国を足したほどの面積を持つポルトガル。日本の4分の1ほどである。時差は9時間。地図を見ると分かるように、南北に細長い形をしているので、この方向への移動をする場合は、かなりの距離となる。反対に、東隣のスペインへ行く場合は、割と近いことになる。あまり欲張らずに、一カ所での滞在型の旅にした方が、絶対印象深い旅になることを知っているから、今回は首都リスボンを中心に数カ所の街を訪れ、その途中の風景を楽しむことにした。また、荷物を背中にしょっていくバックパックスタイルで移動することにし、長らく眠っていた、ドイターのパックを再び登場させることにした。なので、下着や替えは旅先で洗濯するなど、荷物も最少限とした。
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(初日)
往復、トルコ航空の格安便がとれ、関空を飛び立ったのが夜中の11時半。11時間ほどのフライトの後、トルコのイスタンブール「アタチュルク国際空港」で5時間待ちの乗り換え。なにをするでもなく、持ってきた椎名誠の「岳物語」を読んだり、様々な人種が交錯する様子などを見て時間を過ごした。リスボンに降り立ったのが現地時間の14時。トルコ航空の機内はサービスが良く、歯磨きセットなどが入ったおしゃれな小物入れをくれたり、食事も今まで乗った飛行機の中では良い方だった。ただ、やはりボクにはエコノミークラスの座席は狭く、長旅はつらかった。時差と不規則な食事の関係で体調を崩さないよう、注意した。
到着した時点で帰りの便をリコンファームしようと思ったのだが、フライトの72時間前から、と言われできなかった。しかしこのリコンファームっていうヤツはどうも理解できない。席を予約した時点で、確定していると思うのだが。まあ、今はリコンファームしなくても大丈夫の航空会社も増えているらしいのだが。そこは個人旅行の悲しさ(?)、なんでも自分でしなきゃならないのである。

(二日目)
さてそんなことでリスボンの「ポルテラ飛行場」からポルトガルの旅が始まった。天気は良く、実はこの時期から雨季に入るポルトガルなので、まずはスタートからラッキーな滑り出しかと思われた。飛行場から市内へは地下鉄が出ているので、「エアロポルト駅」から乗ろうとすると、なんだか入口にシャッターが閉まっている。「え、こことちゃうんかいな!?」と思い、周辺をウロウロしてみるが他にどこにもそれらしきところが見当たらない。我々以外にも、旅行社風の人が地図を片手にウロウロしているので、現地の人に聞いてみると、「今日はストライキやってるよ」とのこと。「あらま~、いきなりこれかよ」とまずは先制パンチを食らったかっこう。どうりでタクシー待ちの列が長かったわけだ。

で、我々も重たい荷物を背負って列に並ぶことに。タクシーはぼられることがあるらしいので、まずはメーターを確認。行先のホテルを告げる。リスボンの一泊目は、旧市街地から離れた、味も素っ気もないホテル。チェックインし、靴を履いたまままずはベッドで大きく大の字になって背伸びだ。明日は地下鉄、動くのかなあ?

リスボンの見どころは、旧市街地にあり、大きくは「バイシャ地区」、「アルファマ地区」、「バイロ・アルト地区」に分かれる。また、リスボンは7つの丘に発達した港町で、とても起伏に富んでいて、またそれが立体感のある魅力的な街にしている。しかしかなり坂道がきつく、ケーブルカーもいくつかある。石畳が多く、高齢者には住みにくい街かもしれないと思った。
そんな中で、リスボン初日は谷間にあたるバイシャ地区へ行ってみることにした。地下鉄を使えば一発なのだが、ストで動いていないので、タクシーを使うしかない。「ロシオ広場」という繁華街で降ろしてもらい、街の様子を見ながら歩いてみた。行きかう地元の人は皆彫が深く、美男美女ぞろい。しかしなんだか皆一点を見つめ、恐そうな雰囲気。だが、道を聞けば親切に教えてくれる。
ますは街のランドマーク的な、「サン・ジョルジェ城」へ。高台へは急な石畳を歩いて行く。ちょうど夕日が沈むところで、テージョ川に映える夕日が美しかった。
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さて、今日は「ファド」を聴きながら食事でディナーと思っていたので、ファドを聞かせるレストランが多いというバイロ・アルト地区へ歩く。バイロ・アルトは丘に広がる一帯で、ここもにぎやかなところ。また、いかにもヨーロッパの街角!といった町並みが目を楽しませる。
道を聞いたりして、ようやく一軒のファドレストランに入った。
「ファド」は、どちらかというと、社会の底辺にいる貧しい人たちの大衆的な音楽だったらしい。起源は諸説あるらしいが、聴けば日本人でもなんだか哀愁を感じる音楽。通常、歌い手と、低音を受け持つギター、そしてギターラと呼ばれる12弦のポルトガルギターの三者で構成される。中でもポルトガルギターの音色が素晴らしく、どこか物悲しくて時に明るいメロディーで旅の初日を楽しんだ。
(写真は、ファドの合間にやった民族舞踊。ファドの演奏は撮影禁止ではないのだが自粛)
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by ozawa-sh | 2013-11-14 07:54